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幼い頃、既に閉じ込められている人へ

ある時期から、朝、目覚めると新しい感覚が芽生えていて、それが私の生きる道しるべになってきている。


その道しるべを歩み始めたら、

なぜ、自分が未来に絶望してしまっていたかが理解できた。それまで、必死に現状を面白がるフリをしていた自分も一緒に許せてしまったら、「絶望的な未来」という世界が一瞬にして消せるようになった。


すっかり希望を失っていた頃は、その感覚が身体の心底にある不調から来ていると指摘された。お陰様でカラダに本気で向き合うチャンスを何度もいただいた。


不調という感覚を通り抜けると、重力と引力が丁度よくバランスが取れていて空を飛んでいたという記憶を思い出した。何人かの人々が同じようになことを語っているのを聞いた。


「どうやら私だけじゃないみたい。」


以来、私の興味は、本当の自分が創り出す世界への憧れに変わった。この羨望は一体どこからやってくるのか。それを解き明かすプロセスの面白さにすっかり恋をしてしまった。


目の前の日常に気持ちよく没入できないのは、「受信体」である自分のエーテル体がほとんと麻痺状態であるという情報が瞑想しているときにやってきて、嬉しくなって自分の感覚を開くことに無邪気に専念している。


その甲斐があって「ある意識」を見出すことができた。私の元にやってくる情報は「私」という個人のためでけでなく、私に似た絶望を抱えている人々への貴重な情報なのかもしれないと感じるようになった。


なので、特に明け方に流れてくる情報をこれから出来るだけ文字にしていこうと思います。


今朝は、

「幼い頃、既に閉じ込められている人へ」という情報で、それと同時に思い出した記憶がある。

私は、幼い頃生まれた瞬間の感覚の記憶があり、小学校の低学年頃には、毎朝4時頃に不思議な声を聞いていた。ただ、それはぼんやりした記憶でいつの間にか、その体験さえも忘れていた。

小学校の低学年の頃までに、本来の自分の道しるべを見失い、感受性を閉じ込めている人は、私以外にも多数いて、私の現在歩んでいる道をシェアすることで、私だけでなく、生きとしいけるものの感受性をさらに鋭敏にしていくのだという情報を受けとった。


私のマインドは、直ぐにこの情報を分析してしまっていた。幼い頃、自分の感覚を何らかの存在に奪われたのではないかと。ちなみに、幼い頃の感受性を麻痺を解放する扉は左耳の後ろあたりです。


マインドの分析ではなく、ハートでもう一度感じてみると、自分で感受性に鍵を掛けたと理解できた。つまり、鍵は自分で開けられるということ。


幼い頃、既に閉じられてしまっていた人へというタイトルに惹かれたのであれば、閉じてしまった感覚の鍵をご自身で開けるときなのだと思います。


以下に鍵を開く手順を書いておきますので、感受性の扉を開きたい。本来の自分を感じたい。という方は、トライしてみてください。

(エクササイズの前に、鍵を開く決意をご自身にしていただけると効果がアップします。)


ステップ1 目を閉じ、意識を左の耳の後ろに意識を向けます。そこで大きく呼吸を口から吐き出します。

ステップ2 息を鼻から吸いながら、意識を右斜上に目を閉じたまま意識を移動させます。

このステップ1、2を朝と夜に好きなだけ繰り返します。


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