あの頃はダメだったけど、今は悟った的な無意味な自己評価
評価は、気分次第で変化します。過去、現在、未来という時間軸を比較してみることは、
ほとんどの場合、マインドがその都度作り出している気分の賜物でそこには常に無意味な
比較の評価があるだけです。
心地よい気分の時に過去を思い出せば、過去は今より劣っていた様な気がするかもしれないし、気分が悪ければ、過去の方がずっとましだった様な気がするかもしれません。気分次第で過去、現在、未来を比較することは基準も、終わりもない競争です。
もし、世界が常に競争している様に見えたり、他人との比較に悩まされているならこの視点から物事を観ているからなのかもしれません。新しい恋人が出来た直後、「あぁ過去の男はダメだったけど、今の恋人は良くなった」なんて思いがちですが新しい恋人との時間は、気分がいいものです。
フランスの劇作家アルマン・サラクルーは
人間は判断力の欠如によって結婚し、
忍耐力の欠如によって離婚し、
記憶力の欠如によって再婚する。
となかなか鋭いご意見言ったそうです。(苦笑)
過去、現在、未来と言う時間軸を比較しながら物事を観ていくのは現実を扱う上で、時に貴重な視点ですが、過去は間違っていて、今の生き方は正しいという視点も、今の生き方が正しければ未来は間違わないという視点もイラショナルビリーフです(非合理な信念)
その特長は、以下です。
・事実に基づいていない
・論理的必然性がない
・気持ちを惨めにさせる
・自己否定的・悲観的な内容である
イラショナルビリーフは、数年前から流行のアサーティブコミュニケーションの中でも使われています。私自身は、アルバート・エリスには一部納得できないところもありますが(ちょっと上から目線)この視点は物事を冷静にみる上では役立つと思います。
つまり、新たに評価される現実を作り出すばかりでなく(実際には、自分がマインドの中で評価しているだけなのですが。)常に不安や心配が絶えません。現在、起きている出来事をマインドは「過去は、間違った選択をした」「現在は、正しい選択が出来る様になった」と考えがちです。そして、「出来る様になったはずなのにまだ同じ間違いをおかしてしまった」と言うループにはいっていきます。
私も、マインドがある以上、あっという間にこのマインドのループにはまります。例えば、あの頃はダメだったけど、今は悟ってたはずのなのにと無意味な自己評価をして、同じことなどあるわけないのに、また同じ間違いを繰り返しちゃったと嘆いたりします。悲劇のヒロインになりきって嘆いている自分を観察できると「ハッ 今の現実がただあるだけだった」と目覚めるとともに悲劇のヒロイン好きの自分を笑い飛ばします。
正しいか間違っていると関係なく今、起きている現実がそこにあるだけ。目の前に、恋人がいたり、いなかったりその現実への関心だけで十分なのです。現実とダンスするのに正誤は必要ありません。社会的に問題のある行動かどうかは、ここではさておき、自分自身を観察し、自分が何をしているのかを知ることだけで現実はもう新しく動き出しているのです。
過去の男より今の男がマシとか過去の生活より今の生活の方が良くなったなんてマインドがそのときの気分でジャッジしたいだけなんですね^^:;だから、私は、「今まで出会った男性をみんな愛している」なんて言い換えてみるのです。ただ、このビリーフに変容させるとハートを温めるだけの不思議なパワーがあります。なかなかよいラショナルビリーフですよ。自分がピッタリくるビリーフに変えて今日から試してみてください。