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好きなことって本当に仕事にできるのか。

やりたいことをやり始めると段々といつも興味がなくなっていきます。本当にやりたいことではなかったのでしょうか?

好きなものを仕事にしましょう。ワクワクすることをしましょう。というワードは、それまで、労役・苦役=仕事・稼ぐこと だったというパラダイムをシフトさせました。ただ、この感覚はある程度継続性を持っていないと現実化することができないことも確かです。

好きだったはずのものをいざ仕事にしようと取り組んでみると、ある段階で《本当にやりたかったことのなのかどうかわからなくなる》という疑問の中に迷い込んでしまう人が少なくありません。このように自分探しの迷宮に入ってしまう人と実際に切磋琢磨しながら仕事をクリエイトしていけると人とは何が違うのでしょうか?

もともとはやりたいと思ってやり始めたことを本当にやりたいことだったのかどうか検討する自問自答の中に入ってしまうと、考えれば考えるほど迷路に入り込んでしまった様な状況になっていってしまいます。

自分のやりたいことへの興味が薄れる前に何が起きていたのか?

この様な苦しい迷路に入る前に、観察するためのポイントがあります。本当かどうか?という自問自答はクレイジークエスチョンの一つです。本当にやりたいことなのかということの結論を出そうとし始める前に、自分では気がついていない何らかの出来事や感情を正見してみる必要があります。正見とは、仏教用語でありのまま観るという意味があります。

その出来事や感情を味わうことなく表面上を上滑りしていると、仮にその後、他にやりたいことを新しく見つけられたとしても、また、あっという間に興味が薄れる時期がやってきます。そして、やりたいと感じてから興味が薄れる期間が加速して短くなっていくでしょう。

結果としては転職を繰り返す人や転々と仕事内容が変わっていくことになり、最初に真面目に長年勤めた会社を退職したあと、数年置きに転職を繰り返す、一度結婚した後、どんどんパートナーが変わる、その度ごとにどんどん人生の味わいは薄くなり、まわりの出来事や自分への感情、他人に対する興味は薄まっていくでしょう。

この状態を繰りすと人生全体がなんとなく薄口でにじんでいる状態が加速されていきます。これは、日本の中で現在信じ込まれている「老化」の質が非常によく似ています。

ということを観察し直すことで、頭の中をぐるぐるまわる迷路ではない道を開いていくことが出来るのです。それには、興味が薄れるということがどういう状況なのかということも再度、検討してみましょう。

ここでは簡単に2つに分けてみましょう。

1)興味のある対象についてすべて知り尽くしてしまった状態

2)興味のある対象について味わえていない感覚がある状態。

人並み外れた鋭い観察眼と五感を持っているという自負がある場合でない限り、1)よりも2)で興味が薄れている可能性が高いと言えるでしょう。もちろん前者の方は、多種多様な冒険に満ちた人生をどうぞ謳歌してください。

もし、やりたいことをはじめて興味関心が薄れたと感じている方は、それが本当にやりたいことなのかどうかと問う前に、興味が薄れるに至る前に何か見逃している出来事や感情がないかをゆっくりと観察してみましょう。生き生きとした興味が蘇ってきます。

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