top of page

「愛」っていうと嘲笑されたりするけど、わからなくもない。

日本でラブコーチです。って言うと、含み笑いをされることも多い。

でも、あらためて『愛』とか『ラブ』なんて言うと、

嘲笑したくなる感覚も実はわからなくもない。

私自身が、自分にある愛の感覚に対して

どれだけ無感覚で無自覚でいたかについて書いてみようと思う。

少なくとも、記憶のある18年前、『愛』だの『恋』だの言われても全然ピンと来ていなかった。

日常からはかけ離れているし、考えるのも面倒くさい。

その割には、自分の確固たる軸なんてまったく想像できないし、既に当時の記憶は怪しくなっているけれど、コンビニは、生活の中に染み込んでいた。

何かあったらコンビニへ行けば時間が短縮できるし、手間も省ける。

生まれてから検討することもなく、それが全ての命の優先順位みたいに生きていた。

時間が短縮できるし、手間も省ける。

昨日、イタリアのスーパーマーケットのパンを食べたら、マーガリンの味が強烈で驚いた。

あの時、よく食べていたコンビニのパンと同じ香りがした。

突然、話が飛んだように思われるかもしれませんが、植物油脂の味がわかるほど、五感が鋭くなったのは、「愛」に向き合い始めてからだ。

さらに遡ることで数十年、私は、随分退屈な高校生活を経て、晴れて大学に入学した。

大学入学と共に熊本から上京してきたというO先輩に出会った。

彼が方言が強くて、「通じない場合は、英語の方が通じるんだよ。」と真剣な顔で言っていた。

当時の私は、0先輩が、方言を恥ずかしい素振りも見せずに堂々と話せるところが、いきなりちゃん付けで呼んできて、うまくいったらセックスしよなきゃいけないのかな。と不安にさせられるような他の男子学生とは違っているように感じた。あくまでも私の主観だけど。

不安な反面、大学には、それまでの高校生活と違って、随分上手に女の子を会話で喜ばせてくれるような人がいた。

そうするとセックスで答えてしまいたくなるような軸がブレブレだった19歳の私にとっては、O先輩は、なんとなく正しい人のように思えて、大学生活で迷うと学食に彼の姿を探しに行ったものだ。

私は、19歳にもなって、自分の方向を見失っていることにも気づいていなかった。いつしか、その先輩は大学で見かけなくなり、風の噂では、インドとかチベットを旅して歩いているらしかった。

すっかり大学生活にも馴染んでいたある日、鞭毛で学内を歩いている彼を見つけた。「えーっ!どうしたの?」と私が近づくと、彼は、「お前。元気かぁ。久しぶりだな」と照れ臭そう長い部分の髪を触りながら、笑っていた。

そして、私も、多分、わざと少し、皮肉な笑いを作って見せた。

あの時、私は、何だか引いてしまったのだ。

本当は、会わないでいる間に何が起きていたのか、もっともっと聞きたかったし、もっともっと話したかった。いつしか彼を本当に学内で見かけなくなった。

そのあと、軸のないまま社会人になっていた私は、彼を山の手線の中で見かけた。

彼は、柄にもなく当時流行だった髪型をして、少し肩幅の広目のスーツをきて座っていた。

疲れきっているように見えた。でも、本当は私が強烈に疲れ切っていたのだ。

何だかわからない、だけど、彼の話が聞きたくて仕方なかった。だけど、彼に近づくことを無意識に避けてしまった。

その時は、声を掛けることさえ出来なかった。

ただ、あの人と話してみたい、色んなことを聞いてみたい、彼がどんな人なのかもっと知りたい。

その感覚は、それまでの、なんか好きになっちゃった、だから向こうにもこっちを好きになって欲しいと言う感覚とはまったく異質な感覚があった。

誰かとの間に、何かが生みだされるとき、そこに、化学反応が欠かせない。

でも、その化学反応そのものが愛なのだと私は思う。

それなだけに、

何が起きるか事前に予測することも出来ないし、

得体の知れないものが生まれるかも知れない、

今までの知識や経験を超える出来事が起きて溺れ死ぬかも知れない。

私は、無表情のまま、山の手線を一駅前で降りた。

私の心臓は、もう張り裂けそうだったし、喉が締めつけられて今にも泣きそうだった。

私は泣かないために、笑ったんだ。

bottom of page