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変だと思われない方が変なんだ。変でいいや。

イタリアで、いつもちょっと不思議な男性が立っている交差点がありました。彼は、おそらく、日本で言うところの「変な人」、というか、私が住んでいた東京では、そういう人を見かけたら、無視して見ないようにするというのが常識でした。

なぜ、変かというと、彼は、交差点を通る人々、全員に手を振るのです。

ある日、義父が運転している車の助手席で、初めて彼を見たとき。

義父は、彼に向かって「クラクションを3回も4回も鳴らしました。

「ビービ・ビ・ビ・ッ、ビービ・ビ・ビ・ッ、ビービ・ビ・ビ・ッ」と。

私は、義父に対して「なんてひどい事をするんだ」と内心思いました。

それで、ただ、「そんなにクラクション鳴らして大丈夫。」って聞いてみました。そしたら、義父からビックリするような言葉が返って来ました。

彼は友達だから、彼を見かけたら、クラクションで挨拶するんだよ。彼もそれを楽しみにして手を降ってくれるよ。時々、あの交差点に立っているんだよ。町で友達を対向車線で見かけたときと同じだよ。

確かにイタリアでは車を運転していて、友達を見かけるとこれでもかというぐらい、クラクションを鳴らし合うことがあります。

そして、夫ともその交差点を通ることが何度もありました。少し手前から、あの彼の姿が見えました。

なんと彼も同じようにクラクションを「ビービ・ビ・ビ・ビッ」鳴らしたあと、「チャオ、アミコ、ミオ」と窓を開けて叫ぶと、何もなかったように運転をはじめました。

その後、その交差点では彼を知っている町の人々はみな彼にクレクションを鳴らしていることがわかってきました。

私が変だと決めつけた彼の問題は、もとい、彼の特徴は、「相手が悪い人かどうか」ということを見極めることができず、区別がつかず、誰にでも手を振るということでした。

今年に入って彼が亡くなったと言う知らせが掲示板に乗っていました。

イタリアでは、亡くなった人の情報が見れる掲示板のようなものが町の何箇所かにあり、そこに名前と写真と共に掲示されます。

彼の写真を見た時、クラクションに答えて嬉しそうに手を振っていた彼の姿が思い浮かびました。

その体験は、私の中にあった「変な人」のカテゴリーもその反応をも崩壊させました。義父をひどい対応をすると一瞬でも責めてしまった、ずれずれの正義感も一緒に。

小さい頃から、変な人をみたら「相手にしてはいけない」という同意があり、それが大人になってもそのまま変換されないまま残っていました。

現実を見ていないからこそ感じる、意味のない遠慮の気持ち、ちょっとした恐怖。

交差点でただ人が通るのを楽しみにしている彼のピュアさとイタリア人達の彼への陽気な対応がその思い込みを溶かしてくれました。

もちろん、残念ながら、今の世の中では、小さな子どもが見ず知らずの人や異質に見える人に追いていってしまっては、危険を伴うこともあります。

社会の中で人々とオープンに付き合うというのは、難しい事情もたくさんあるのかもしれません。ただ、とっくに大人になっている私は、とっととそんな思い込みは捨てることにしました。

「人生ここにあり」1978年バザリア法により精神病院を全廃してイタリアで精神病院から協同組合へと変身を遂げたある施設の夢のような実話。

「喜びのトスカーナ」虚言癖でおしゃべりな自称・伯爵夫人と、自分の殻に閉じこもる全身タトゥーの女。女性二人が破天荒な逃避行を繰り広げる中、いつしか掛け替えなのない絆で結ばれる物語。

どちらも、変な社会の中で生きていれば「変だと思われない方が変なんだ。変て思われてもいいや。」という事をあらためて、感じられた映画でした。

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