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センシュアリティ(官能)を開くとは何か?


官能と言う言葉をきいて感じるイメージはどんなものでしょうか? 巷にあるポルノなどと混同されがちですが、ここでは、Self dedication(官能性を開花させるセッション)が目指している体験についてお話します。


どんな人に向いているの?

世間に合わせて頑張っていた自分がいったい何処に向かっているのか?明け方などに突然わからなくなって不安になった経験はありませんか?


その体験は、物事がうまくいっていないと感じている時よりも、むしろ、物事は当たり障りなく進み、結構上手に色々こなせているときにこそ起こりやすいかもしれません。


少しでも気を抜きでもしたら一気に何かが崩れてしまうような感覚、とてつもない孤独感、元気になるために自分を奮い立たせなければ落ちてしまうような感覚です。


官能の扉は、本来の自分とは違う世界に接続されてしまっていると開花することがどんどん難しくなっていきます。ただ、その扉への招待状は明け方みる夢や不意に繋がる現実の世界にも送られ来ています。


私は幼い頃からいくつもの招待状を受け取って来ましたが、一番最近ではエーテル体にエメラルドグリーンの存在を感じるようになったことでした。背後になんか明るいものがあるという感覚から始まったように記憶しています。


ちなみに私のSNSのプロフィールの背景はその感覚をイメージしてイラストレーターの方に描いていただきました。


その存在を感じるようになった頃、日常生活では、どんどん依存しているものを手放している時期でもありました。ずっと握りしめていた拳を開き始めた感覚です。それは劣等感から所有しているものとの本格的な別離の始まりでもありました。


具体的にはどんな体験なのか?

それでは官能の扉が開く感覚とはどんな体験かをはじめは視覚的な感覚から、探究していきたいと思います。


青や銀、金色が混ざったような色で光のように発光しています。それらが身体の内側では針よりも細い線の束になって現れます。さらにミクロに焦点を合わせていくと、細かい光の玉が振動します。


その状態は、外からみると蛍を思い出させるような発光体で、背骨の中心にある脊髄や頭頂部から発光しているように見えたり、身体のまわりが光のヴェールに包まれているように見えます。


これらを自覚しないまま発光しているのが、思春期です。ただ、多くの場合は、出生児などにお臍や背骨の感覚が恐怖などで切り離せれて閉まっているため、自分でコントロールすることが出来ません。


ここで言う自覚と言うのは、意識がある状態でその実感があるかと言うことになりますが、意識がある状態で内側に感じるのは、会陰によって引き上げられた精気が仙骨で螺旋状に放射された骨盤全体を包み込むと同時に、背骨をつたって松果体から頭頂部を通っていきます。


体験しているときは、初恋が始まったばかりのように甘く、実際に口の中に甘みが広がります。甘く軽い光は同時にハートを包み、身体中の中に細胞レベルの蠢きが起こります。そして、雪が降るときに感じるようなシンシンという音が耳の奥で鳴り続けます。エロスで表現されるような汗や身体の匂いが気にならなくなります。


身体の何処かに強ばりや緊張があると、まるでセンサーが働いているかのように波のように身体中を駆け巡り、場所によってドライアイスから出るようにひんやりと冷たかったり、温泉のように暖かかったりを繰り返します。

これらが身体の内側のある部分で突然、集中治療を始めるような感覚になり、そのプロセスは、悦びの感覚を知っている私と、それを起こしている宇宙との協働のプロセスであることを感じます。

この恍惚としたエクスタシーを全人類が感じられるようになったら、何かに順番を付けたり、比較したり、保有したりすることがそもそも必要もないし、意味がないのだと言うことが体験としてわかります。あらゆる戦争や略奪などが自然に消滅していくだろうと言う確信的な予感に満たされていきます。


隠されてしまったのか、陰謀なのか、忘れられてしまったのか、その意図を汲み取ろうとすることにエネルギーを割くことは賢明ではなく、ただその体験の存在を自分が思い出すことでプロセスはより深まっていきます。


この状態にはいると、日常は恍惚感に満たされ、自分を包み込む宇宙全体が愛で満たされているという感覚がやってきます。怖いものがなくなり、宇宙の法則の全てを理解している状態になります。


ただ、この体験はどうやらビギナーズラックのようなもので、この体験そのものへの執着を手放すことがその扉を再び開きさらに奥深くに進む鍵になるようです。これを味わったときの感覚を言葉にしたものは、電子本の愛の本のプロローグに書いています。

ある瞬間の宇宙感を味わうだけで次の扉が開くことを同時に感じます。宇宙の法則を見出すと途端にそれが意味をなさなくなり、次の瞬間には十数年かけて見いだした法則そのものが、機能しなくなるばかりでなく、どうでも良くなってさらに楽になっていくような感覚です。


例えば、社会で現在使われている時間の法則、過去や今、未来が一方方向に流れていると言う感覚そのものが分離した見方であり、そもそも分離などしていなかったことを思い出します。


私は、地球を癒すためにここに来ていたの思いきや、地球は地球そのものの自己治癒力があり、私はそれを出来るだけ邪魔しないことの方が大事なような気がしてます。


※このブログは、私自身が体験したことを出来るだけ他の人の知識や引用使わずに表現しようという実験で、瞑想後に流れてくる感覚を文字化し、さらに瞑想した上でアップロードしています。あとで変化していくものもあると思いますが、誰かのプロセスにサポートになればと思い、文字化しています。


引き続き、私のラブコーチとしてのプロセスも交えてお話していきたいと思います。


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#官能の扉を開く #宇陀羅愛の生活術 #センシュアリティ #ラブコーチ #SelfDedication などで瞑想やボディエクササイズなどを紹介していきます。


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