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愛するものを失ったときにやって来るもの

ラブコーチの宇陀羅(ウダラ)です。

一度でも、愛する人を失ったことのある人は、そのプロセスに痛みが伴うことに同意いただけると思います。


お別れのプロセスには、十分なスペースが必要です。これらを経験しないままでいると経験や年齢を重ねるごとに、愛することに消極的になってしまうことがあります。

ラブコーチのセッションでも多くの人が痛みを感じながらも、愛する体験にかえっていこうとする姿には、本当に心を打たれます。


通り抜けたあとには

  • 景色が変わった。

  • 手足の感覚が戻ってきた。

  • 息が吸えるようになった。

  • 味覚が蘇った。

と言うような感覚を体験したと話してくれます。


それと同時に、誰もが持っている無条件の愛の能力を取り戻していくことになります。恋とか愛の感覚が細胞の隅々に蘇っていくのです。

愛するものを失ったプロセスは、いわゆるライフハックに見られるような生産的な分野と同じ器で扱うことは出来ません。

それは、死のプロセスに似て決して楽なものではありません。それが故に、愛す気持ちが大きければ大きいほど、その気持ちをまたぎ続けたまま、どんどん先へ走ろうとしてしまうことがあります。

イギリスの精神科医ジョン・ボウルビィの離別のプロセスを紹介します。

1. 無感覚と不信:死別直後のショックで何も感じられず、死別を夢であるかのように捉え、信じられない。

2. 思慕と探求:失った人への思いを募らせ、強い悲嘆を感じる。面影を探して、思い出の場所を巡るなどして、喪失したという現実を否認する。

3. 混乱と絶望:探し続けたあと、永遠に会うことができないことを知ることで、故人を前提にしていた人生が意味を失い、失意と絶望が訪れる。免疫力などの身体への影響がでる。

4. 離別と再建:死別の現実を受け入れ、穏やかで肯定的な感覚が訪れ、自らの人生を生きるために生活を建て直す。


忙しく動き続ける現代人の生活様式では、この1.〜4.を時系列的なプロセスで起きると捉えるよりも、これが、日々の体験の中でランダムに呼び起こされると捉えた方が現実的です。


ところが、そのプロセスにスペースを与えないでいると、無意識のうちに愛への自信を失ってしまうのです。


このプロセスの背景にあるのは、故人を変わらず愛しているという気持ちです。


そのプロセスは、対人との死別だけでなく、愛のエネルギーを注いできたすべてのもの(場所やものなども含む)を失うときにも起き得ます。

私の場合、過去に全エネルギーを注いでいたお店を、突然、失ったことがあります。その絶望を受け入れてしまったら、それまでの自分を否定することにも繋がるため、少しでも希望を見いだそうとして、希望と絶望の間で混乱していました。

絶望しないために、それらを無理矢理忘れようとしたり、別の似たような人やモノを探そうとしたりして、絶望を受け入れないまま長い年月を過ごしたこともあります。


このプロセスを優しく通り抜けるためには、愛するものを、愛していた瞬間を思い出し時に、それを抑えずに、その愛をそのまま感じることです。


つまり、決して、愛している気持ちを無理に止めないことです。

その愛が、痛みを伴う感覚を感じるためのスペースを作ってくれます。ただ、これらのプロセスは、無理にプッシュするのではなく、気づきを持って通り抜けることが大切です。

私がはじめてこのプロセスを通った時には、心臓の真ん中に矢が刺さったかのような痛みを感じたのを鮮明に覚えています。少しずつ小さくなり、真っ赤に燃えたような痛みが少しづつ消えていくのを感じました。


失ったものへの愛を否定せずに心地よく味わう感覚が、私を自然に癒してくれました。新しい扉は、自然に開きはじめて、気がついたら人を好きになるようになっていました。


もし、人や世間に対して、無感覚になったり、不信感から抜け出せないでいる人がいたら、下記の動画も参考にしてください。

色々、徐々に始めています。サポートよろしくお願いします。

















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