自分の言葉でコーチングと瞑想を説明してみた
出来るだけ短めに自分の言葉でコーチングと瞑想を説明してみました。
私にとって、
コーチングとは、
何でも打ち明けていい場。
何も答えが返ってこない「無」の場。
正解、不正解がない場。
その場に接していくうちに、自分のものの見方や感じ方、考え方に
こびり付いていたものがただ見え、ただ感じ、ただつかめるようなりました。
例えば、
好きな男性に羨望しながらも、同時に失望するように眺めていた視点。
気になるものに近づきたいと思いながら、壁を作っている感覚。
良いか悪いか・成功か失敗かなど、区別を付けようとする理解の仕方。
その結果、現実と自分の考えていることの間に、大きな感覚の違いがあったことを実感しました。
コーチングは、拍子抜けするほど何のアドバイスも存在しません。
そこで、外側の世界に対する大きな感覚の変化が起こりました。
世の中が灰色に思えることでさえ、私の思いだったのです。
砂上の楼閣に建てた数々のことが、アイデンティティと同時にバラバラと崩壊しました。
いつしか外側の世界は、内側の鏡だという思いにたどり着きました。
小学校5年生で転校した事でさえ、自分が起こした現実だという視点。
転勤で高校受験で念願の学校にいけなかったことにも自分で責任を取ってみる。
それらを引き受けた頃から、内側の感覚を感じることに夢中になりました。
程なく、私はかねてから、死にたいと思っていたことを理解しました。
そして、時を同じくして瞑想に偶然出会いました。
私にとって、
瞑想とは、
区別が消え去る場。
帰りたくなる場。
繋がることへの恐怖が消える場。
私の場合、煩悩を捨て去ることから始まったのではなく、ことごとく煩悩と向き合い、楽しみ味わうことから始まりました。
美味しいものをみつけたら、好きなだけ味わい、快感を感じることを自分に許していくうちに、ただの快感にもいつしか飽きがくることも体感しました。
瞑想は、集中することでも、煩悩を捨てることでもなく、突然開く窓のようなものだなぁと今は感じています。
10月12日-14日 花巻市にて
私が企画、ファシリテートするワークショップを開催します Japanese Retreat 自由に楽しく瞑想する
Comments