top of page

「自分を愛する」=わがままになる

「自分を愛する」とはどういうことでしょうか。「愛するためには他の誰かが必要じゃないか。」と、ばかばかしく、意味の分からないことに聞こえるかもしれません。


自分を愛していなければ、他人を愛することはできません。自分を愛をもって扱うことができなければ、他人に対しても愛をもって扱うことができません。心理学的にも不可能なのです。愛するのには他の誰かが必要だと思うかもしれませんが、自分自身の中にある愛を学ばなければ、他人に対して愛を実践することはできないのです。


あなたの自分自身への態度は、あなたの他の人への態度でもあります。自分を憎めば、他人を憎むことになります。悲しいことに、私たちは幼い頃から、学校、宗教、社会、さらには家族を通して、「自分は十分ではない」「自分には価値がない」「自分は取るに足らない」「自分は今のままではだめで、社会が私たちに求める期待に応えるために変わらなければならない」と信じ込まされてきました。


私たちの頭の上にはたくさんの 「べき」が重くのしかかっており、全てを満たすことができません。そもそも、これらの「べき」は、私たち自身のものではないのです。そして、それらを満たすことができないことで、私たちは意気消沈します。


まずは、この現実に気づき、それを超えることが大切です。あるがままの自分を受け入れ、すべての 「べき」を手放すこと。他の誰でもない自分を表現すること。他の誰かになろうとせずに、自分の個性を尊重すること。そうすることで、本当の自分自身の偉大さ、調和、優しさへの扉が開き、葛藤することなく、無邪気に、探究することができるようになります。この無邪気さの中でこそ、自分自身への思いやりと愛に触れることができるのです。


バラは、蓮の花になろうとしないからこそ、とても美しく咲きます。蓮の花も、他の花と自分を比べたりしないからこそ、とても美しく咲きます。自然界では、誰もが誰かと競争したり、他の誰かになろうとしないので、すべてが素晴らしく調和して、すべてがあるべき姿のまま生きています。


西洋文化の中で、私は隣人を愛するように育てられてきました。でも、他人を愛する前に、自分自身を愛することが重要であることを誰も説明してくれませんでした。聖書には「あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい」と書かれていますが、「大いなる善」を求めるあまり、私たちは「どうやって?」という重要なことを見落としていました。そして、自分自身を見失ってしまったのです。


「どうやってあなたの隣人をあなた自身のように愛するのか?」その答えは、「わがまま」であることです。なぜなら、利他主義はわがままの中にあるからです。自分を愛していない人が、どうして自分の隣人を愛することができるでしょうか?何かを知るには、まず自分自身から始めなければなりません。私たちは、愚かな理想のために自分を犠牲にするように教えられてきました。しかし、わがまま


になることでむしろ、自分の中に尽きることのない宝物を見つけ、それを共有することができるのです。自分自身を愛せば、あとは自ずと、隣人に、愛にあふれた自分の存在を分かち合うことができます。誰に愛を分け与えるかは問題ではありません。ただ、誰かが受け取るのです。そして、私たちが価値や愛を共有し続ければするほど、より多くの価値や愛が、目に見えない大きな源のようなところから、私たちの中に入ってきます。


人はまさに井戸のようなものです。井戸の中が水で満ちていないと、その井戸は水を与えることはできません。人も同じで、自分自身の中にあるものや、実感を伴ったものしか人に与えることはできません。自分自身を愛することができればできるほど、自分の肌で感じたからこそ、真の愛を与えることができます。世界の美しさ、驚き、喜びを自分の中に受け入れることができればできるほど、この豊かさを世界と共有することができます。そうすると、欠乏もなく、恐れもない、絶え間ない愛の循環の中にいることに気づきます。そこでは、まるで湧き水が海に流れ、雲になり、雨や雪になり、そしてまた湧き水になるように、絶え間ない変化があります。自分自身を幸せにすることを考えてください。あなたの幸せは水のように循環し、世界をより良い場所にしてくれるでしょう。


自分自身を愛することは、自己実現、自己認識、成功への鍵となります。そうすれば、「目標」を達成することができます。実際、目標を設定する際にも、私たちは社会の影響を受けています。そのことに気づかないと、自分自身のものではない目標を設定してしまいます。自分自身を探求し、知り、ありのままの自分を愛し、他人が期待するものと違うからといって自分をジャッジしないでください。このことを自分の中でよく探求して、自分の人生を生きていきましょう。


ここに書いたことの多くは、悟りを開いたOshoの考察がもとになっています。これは、彼の考え方に従うように皆様を誘うものではありませんが、彼の考えをもとに、私は自分自身を探求し、自分の幸せ、人生、エネルギーを見つけることができました。これは私の人生の燃料、行動のモチベーションになっています。この思いを共有したかったのは、これらがすでに私自身の一部にもなっていて、あるがままの自分であること、自分自身を探究すること、他の誰の真似もしないオリジナルの自分になることを可能にしてくれたからです。


Have a good life!

2021 愛の講座




Twitter

Instagram

Facebook


bottom of page